頭・助頭紹介

歴代頭

初代 宮城 辰彦

お祭りを通して神輿を担ぎ、人間として成長する

私が七番神輿の初代頭を務めたのは七番神輿を立ち上げた2004年の1年間です。
それ以前、1990年から県連(鹿児島県の法人会11単位会合同)事業として2年間創作神輿を制作し『おぎおんさぁ』に参加、その後5年間、10数名の有志とともに三番神輿さんに参加させていただき、『おぎおんさぁ』当日までの準備や神輿の担ぎ方など、神輿の基本を勉強させていただきました。
この7年間は、有志の仲間たちとともに「もっと神輿を担ぎたい」「お祭りに参加したい」「もっと鹿児島を盛り上げたい」という熱い想いを持ち続けておりました。

転機となったのは、2003年全国法人会総合連の“全国青年の集い”が鹿児島県で開催され、我々鹿児島法人会青年部会は、この大会開催のため、会員一丸となって準備に尽力し、大成功をおさめる事ができたと自負しております。この経験から、会全体の想いとして「会員の結束力を高める活動がしたい」いう声があがり、その方法を模索する中で、「鹿児島法人会の神輿を立ち上げよう!」という事になりました。
私自身が頭を務めたのは1年間ですが、当時の諸先輩方や仲間たちとは、同じ想いや時間を共有したことで、かけがえのない関係を築くことができました。近年は会員数も随分増え、頭が参加者を束ねて運営していくのも一筋縄ではいかないでしょう。けれども歴代の頭は、みな想いを引き継ぎ、がんばってくれています。

神輿を担ぐことは、お祭りを通して≪一人ひとりが人間的に成長する機会を得る≫ということ。仲間とともに汗を流し、準備から本番、反省会までを経て、一生の絆が結ばれます。


二代目 笹山 雄二

ひとりでは担ぐことができないから味わえる、神輿の醍醐味

初代頭の宮城辰彦さんから頭を引き継いだのは2005年。それから6年間、二代目頭を務めさせていただきました。一年目の担ぎ手は、137名。私は担ぎ手を増やすことに尽力しました。まずは友人を誘い、知り合いに声をかけ、二年目には担ぎ手を300名まで増やすことに。

「とにかく七番神輿を担いで鹿児島を元気にしたい」というのが原動力でした。
当初の神輿は、現在のような立派な神輿ではなくてレンタルしたものだったので、自前の神輿を持ちたいという思いがみんなの中で芽生え、青年部会のみの事業だった七番神輿を、(公社)鹿児島法人会全体の事業としてもらえるよう働きかけました。さらに、青年部の諸先輩方や、歴代部会長にも後押ししていただき、寄付を募るなどの活動も行いました。当時を思い返すと、後輩たちが私を頭として盛り立ててくれ、ありがたかったです。

神輿を担ぐ醍醐味は、≪仲間とひとつの目的に向かってやりきる≫こと、そしてその≪達成感をみんなで共有≫できること。神輿はひとりではあげることができないからこそ、準備段階からみんなで協力しなければ成し遂げることができません。私の願いは、この醍醐味を多くの人に味わっていただき、七番神輿が途絶えることなく、未来永劫続いていくことです。


三代目 尾前 克則

みなさんに楽しんでいただくために、笑顔で担ぐ

二代目が尽力し、多くの皆様にご寄付いただいて、現在担がせていただいている我々の神輿が完成したのは、私が三代目の頭を務めていた時でした。「神輿が完成した」と連絡を受け、川辺町まで見に行ったのを覚えています。それまでのレンタル神輿よりだいぶ大きく重くなった神輿を見て、“担ぎ手を増やさなければ”と危機感を持ちました。それまで一回で30名程度で担げた神輿が、倍の人数いないと担げなくなっていました。

私は仲間たちと協力して鹿児島法人会に所属している各企業をまわり、参加者を募りました。準備や当日のサポート役を考えると300名以上必要でしたが、この年の『おぎおんさぁ』はなんとか勢いで乗り切りました。重くて担ぐのがしんどい神輿だからこそ、「笑顔で担ごう」というのが私のモットー。沿道で見ている方たちにも楽しんでいただき、元気になってもらいたいと思っています。

2011年から2014年、三代目頭を務めましたが、頭を拝命する以前6年間、助頭として活動していた時、一度だけ、大雨の影響で『おぎおんさぁ』が中止になったことがありました。中止が決定したときは、非常に残念で複雑な心境でした。コロナ禍の数年間も開催できませんでしたが、神輿を担げることに感謝し、再び、七番神輿の勢いを取り戻し、鹿児島を祭りで盛り上げてほしいです。


四代目 柳原 史郎

御神酒所の設置や、七番神輿の組織化に挑戦

三代目頭の尾前さんまでは、三番神輿さんでの経験がありますが、私は七番神輿からスタートした、七番神輿生まれの頭です。(笑)頭を務めたのは2015年から2019年の5年間。歴代のように経験がなかったので、浅草の三社祭など、『おぎおんさぁ』以外の祭りに積極的に参加してイチから祭りや神輿について学びました。そこで出合ったのが、御神酒所です。 (※御神酒所とは、祭りの際、神輿がとどまる場所のことです。)

これまでも御神酒所がなかったわけではありませんが、七番神輿が運営しているものではありませんでした。浅草の三社祭にて、御神酒所は祭りを盛り上げるために必要なものだと実感し、七番神輿でも設置することに。ほかにも三社祭からは、運営の連携や会員の組織化など、安定的でスムーズに七番神輿を展開していくための方法を学び、取り入れることにしました。

七番神輿での活動は、≪私の財産≫と言えます。
先輩方から引き継いだレールの上をただ走るだけではなく、七番神輿をより良くするためチャレンジし続けて、また先輩方や仲間たちもそれをバックアップしてくれました。順風満帆でなくとも、大変なことも壁を乗り越えてこそ成長があるのです。七番神輿がこれからも成長し続けられるよう、後輩のみなさんにはとことん挑戦してほしいと願っています。


五代目 徳重 博之

『おぎおんさぁ』の魅力や楽しみ方を伝える組織

四代目の助頭として5年、2019年の1年間五代目頭として活動しました。助頭のときに着手したのは、担ぎ手、裏方が一体となって祭りを盛り上げられるよう組織としての七番神輿を構築すること。そして頭になり、≪みんなで祭りをつくりあげるとはどういうことなのか≫というのを具体的に伝えていきました。その甲斐あり、次第に七番神輿は変わってきています。

組織化された七番神輿は、まず定例会の中身が変化しました。それまでは、頭・助が中心となり進行していた会でしたが、みなが活発に意見を出し合い、一人ひとりの発言にじっくり耳を傾け、議題を丁寧に吟味する、お互いを尊重する組織となりました。歴史を重んじながら新しく変化を遂げてきた七番神輿は、『おぎおんさぁ』の魅力や楽しみ方を多くの人に伝えられることに長けた組織へと成長したと実感しています。

私たちは『おぎおんさぁ』の宵祭り・本祭の2日間のために、363日取り組んでいると言っても過言ではありません。担ぎ手も裏方も一体となって過ごす日々こそ、遣り甲斐があり喜びです。また、七番神輿を観に来てくださる方々とのふれあいや笑顔も、継続していく力になります。多くの方に自分事として祭りを楽しんでいただけたら幸いです。ぜひ七番神輿にご参加ください。


六代目 有村 大輝

安全第一で七番神輿を率いるのが、頭としての役割

2014年に初めて担ぎ手として七番神輿に参加し、2020年から2023年まで六代目頭を務めました。元々『おぎおんさぁ』に馴染みはなかったのですが、気軽な気持ちで参加していたところ、あれよあれよと役員に引き上げていただき、現在に至ります。(笑)七番神輿を運営する鹿児島法人会青年部会は、20歳から50歳までの経営者を中心とした会で、異業種の方が多く、日々の交流は学びが多く充実しています。

六代目頭として心がけていることは、≪安全性の担保≫。私自身、建設業を営む職業柄、力仕事には慣れていますが、やはり重たい神輿を担ぐことはケガなどの危険がともないます。だからこそ頭として、参加者全員の安全を第一に考えなければなりません。ケガなく無事に本番を終えられることが、目指すべきところで、それこそが七番神輿の成功だと考え、地道に活動しています。

コロナ禍に頭を引き継いだため、ここ数年は、思うように活動も出来ず消化不良の状態が続いていました。神輿を担いだからこそ見える景色があり、これが七番神輿の醍醐味でもあります。2023年はようやく頭として迎える『おぎおんさぁ』の完全開催となり、七代目頭に気持ちよくバトンを渡せるよう、全力で挑んでまいりました。未経験の方にもぜひ参加していただきたいと思っています。